【63歳オバ記者のリアル】なかにし礼さん秘話。初対面で衝撃を受けた「大人の生意気」

昨年末、82歳で息を引き取った作詞家・作家のなかにし礼さん。なかにしさんは、オバ記者が小学4年生のときから憧れ続けていた人だった。連載229回目となる今回は、なかにしさんとの秘話について。

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小学4年生のときから憧れ続けていた人

なかにし礼さんとオバ記者のツーショット写真とサイン本
長い記者稼業、インタビュアーはファンであることを悟られたらなめられる。よってサイン、ツーショット写真のおねだり、ご法度、と自分を戒めてきたけれど、その禁を破ったことが2回ある。なかにし礼さんと、野村克也さんだ。野村さんは写真だけだったが、なかにしさんにはサインまで。

『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞した直後で、62歳。本を書くいきさつや、お気持ちなど、記事にするための話を聞くだけ聞いたら、ああ、もうがまんできない。

なにせ小学4年生のときから憧れ続けていた人が、私の投げた言葉を受け取って、投げ返してくれている、と思ったら、“プロの掟“、ナンボのもんじゃ、と思ったんだね。恥ずかしながら、記者の仮面を脱いで、はしゃいで撮った写真がコレ。

「ぼくが文学を復活させてみせますよ」

雑談が終わり、編集長がシメの口上を述べたときのこと。

「文学は衰退したと言われているけど、ぼくが復活させてみせますよ」

って、こう言ったのよ。その静かな口調と流し目のキラキラ感をあえて言葉にするなら「生意気」。

オバ記者

世間知らずの10代、20代ならいくらでも大風呂敷は広げられるけど、名をなし功を遂げた62歳の「生意気」って、ただ事じゃないよ。と、当時のなかにしさんを1歳超えた今、ますますそう思うんだわ。

夢のインタビューのその後、なかにしさんは、自伝的小説『赤い月』をベストセラーにして、ワイドショーのコメンテーターとして活躍して、ここ数年はテレビで見る機会もなくなっていた。

3、4年前のこと。

「なかにし礼さん? たまに仕事でつかう銀座の『✕✕』ってクラブに行くと、必ずいるよ」と、ひょんなことから知り合った大企業の役員氏(当時、66歳)から、消息を聞いたの。

「いつもひとりで、いるんだよな」だって。笑っちゃった。やっぱり私のなかにし礼は70代後半になっても老いないんだな、と。

訃報を聞いて自分の宝物をもぎ取れた気持ちに

出世作『知りたくないの』の歌詞の何が、10歳の田舎娘の心を揺さぶったのか、いまでも説明できない。

ちょうど同じ頃、紅白で見た越路吹雪にやられたって、おかしな子供!

まあ、説明できないことなんか、いくらでもあるから、気にすることもないんだけどね。

たとえば、訃報の前夜に乗ったタクシーの運転手さんと、意識高い系の銀座のクラブのママの話になり、その間、なかにしさんの顔が何度も浮かんだ、なんてことも、説明のしようがない。

作詞した曲は、シャワーのように浴びてきたけれど、お会いしたのはあの時、一度だけだ。なのに、訃報を聞いて、自分の宝物をもぎ取られたみたいな気持ちになっている、なんてどう説明つけたらいいんだ。

コロナ禍で、帰省を喜ばれない新年、説明のつかない気持ちの堂々巡りをしている。

オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。『女性セブン』での体当たり取材が人気のライター。同誌で、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。一昨年、7か月で11kgの減量を達成。

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